速記は21世紀対応の超高速文字です。人が話す内容を全て、そのままの速度で書き取っていける、それが速記です。


速記の誕生から今日まで

日本では明治時代

田鎖綱紀 日本語の速記が発表されたのは、1882年(明治15年)のことです。田鎖綱紀(たくさり こうき)という人が「日本傍聴筆記法」という名前で、速記法研究を呼びかける文を「時事新報」に載せます。
 その呼びかけに応えた人たちが約40人、明治15年の10月28日「小林茶亭」に集まって、田鎖が考えた「日本傍聴筆記法」の講習会が始まります。この講習会の初日であった10月28日が、今も「速記の日」ということになっています。
 ちなみに、「小林茶亭」は現在の東京八重洲口表通りからやや北のほうとのことです。
 この講習会に集まった40人以上のうち、最後まで頑張って速記の世界で名を残したのは、残念ながら、若林かん蔵(わかばやし かんぞう)、林茂淳(はやし もじゅん)、市東謙吉(しとう けんきち)、酒井昇造(さかい しょうぞう)の4名だけです。歩留り率でいうと1割ということですが、いずれにしても、発表時の「日本傍聴筆記法」には未完成な部分もたくさんあったので、講習会で改良を加えながら、この4人が本当の実用レベルにまで持っていったのだということです。田鎖が産みの親なら、この4名は育ての親というところでしょうか。
 明治時代になり、同時に各界での言論も活発になっていきますが、そういう現場を踏む中で、若林らは速記のレベルをどんどん上げていきます。録音機など、そのかけらさえない時代ですから、速記がどれほど重要な働きをしたか、想像にかたくありませんね。