速記は21世紀対応の超高速文字です。人が話す内容を全て、そのままの速度で書き取っていける、それが速記です。


速記の誕生から今日まで

速記法の発展

矢野文雄 田鎖が発表し、若林らが育てた速記ですが、その「速記」という言葉が初めて日本人に知れ渡ったのは、矢野文雄という人が書いた「経国美談」の出版によるところが大きいと言われています。
 その本の後編部分は矢野が話す内容を若林かん蔵が口述速記してまとめたものですが、その本の巻末に「速記法のことを記す」とわざわざ特別のスペースを割いて、本文の冒頭部分を速記符号で書いたものを合わせて載せて出版したということです。実は、これが「速記」という言葉が日本で初めて世に出た瞬間だということなんですね。
三遊亭円朝 その後、若林らは、当時の人気落語家・三遊亭円朝師匠の「怪談牡丹灯籠」の口述速記本を出しますが、それが大ヒットします。当時はまだ「書き言葉」の時代でしたが、語り口調をそのまま速記して文字化した講談落語速記本は、話し手の雰囲気がありありと再現されていて、かなりの人気を博したようです。あっという間に大流行し、それと同時に「速記」という言葉もどんどん世間に広がっていきます。
 二葉亭四迷の「浮雲」など、このころは「言文一致」という動きもありましたが、その陰で速記が果たした役割にも大きなものがあったのではないかと思います。
 若林らが発展させた速記は、その後もどんどん実力をアップさせ、遂には帝国議会での記録を担当することになりました。
帝国議会 第1回の帝国議会が1890年(明治23年)11月29日より始まりますが、その第1回の帝国議会から若林らが速記で入り、完全な逐語記録を残しています。これは、世界でも類例のないことだそうで、以後、現在まで国政議会の記録が全て揃っているという素晴らしい記録文化となっていきます。
 貴族院と衆議院の規則には「議事速記録ハ速記法ニ依リ議事ヲ記載ス」との規定が置かれ、録音機のない当時、まさに議会の生き証人として記録を刻み続けたのが速記ということです。